わたしはエッセイスト
大した内容でもないけど、少しここで喋りたくなったから付き合って欲しい。
こんなに自分の話ばかりして、読む人は楽しいものだろうか?
と、ふと考えてしまうことがある。
しかし、そんなことを気にかけている場合ではない。
エッセイストが自分のことを語らずして何が始まると言えようか。
そう、わたしはここの場ではもうエッセイストになりきると決めたのだ。
自分の話をするのが好きだけれど、日常生活でそんなに自分の話ばかりする人間ほどうっとうしいものはない。
だからわたしはここでひっそり、自分の日々感じたことやどうしようもない失敗談をリサイクルにかけてネタとしてフルに活用しようと考えている。
人はこんなものを読んで面白いのだろうか?なんて考える必要はない。
つまらなかったら読む人がやめればいいだけの話である。
そもそも今のところ読者は彼一人かもしれない。
なのに大げさに物事を考えすぎていると見えるだろう。
でもわたしは知っている。
わたしが書き続けていたら、どんなことが起こるか、、、。
理屈ではどうも説明できない、わたしの勘が言っている。。
さて、あまり余計なことを話していると何を話そうと思ったのか忘れてしまう。
さくらももこを知らない人はいないだろう。
先日、亡くなってしまったというニュースをテレビやら新聞やらで見かけたが、ちびまる子ちゃんの作者であり、エッセイストである。
わたしはこのエッセイが好きだ。
いや、好きだと言ったがシリーズ全部は読んでいない。
本棚の一番上で恐ろしいくらいに誇りを被っていたのをたまたまこのブログを立ち上げるタイミングで手に取ったのだ。
かれこれ20年、いや、最初の作品はわたしが生まれた91年3月に出版されているのだからもっと前から我が家の本棚には並んでいたのかもしれない。
新しい作品が出される度に母が買ってきたこのエッセイに、わたしが初めて手を出したのは10歳くらいの頃であった。
わたしが特に好きだったのは、さくらももこがちょうどまる子だった頃の話を綴ったものだ。
ネタ自体も面白いが、言い回しや表現が読むものを笑いへと誘う。
子供向けではないのに子供でも大いに笑えたのだから、わかりやすい表現って素晴らしいな、と思う。
そしてかれこれ十何年ぶりに開いた今も、大人になった今も、朝から大いに笑った。昔読んでお気に入りになった、まる子が風呂で父ヒロシに歌を教えるエピソードでは涙も滲むくらい笑った。
そう、わたしのこの語り口もおそらく彼女の影響だ。
もちろんだが、心の中でもこんな風には語っていない。
もう少し普通に喋っている。笑
しかし、わたし自身が見た面白いと思うものをより面白く表現するにはこんな風に書くといいのか!
と、11歳のわたしは素直に取り入れてみることにした。
ちょうど昔この本を読んだ頃におすすめの本を紹介する、というのが授業であった。
もちろんわたしはこの本を紹介した。
先程の風呂で歌をうたう話が載っている
『ももこの話』だ。
わたしが面白そうに笑いながら話したのが良かったのか、紹介を終えた後クラスの友達何人かがその本を借りたい!とわたしに言ってきてくれた。
「○○ちゃんが借りた後はわたしに貸して!」
「じゃあわたしはその後!」
と、借りる順番まで決まっていくのは目の前で見てて気持ちのいい光景だった。
わたしは前にも書いたが大人しい子だった。
もともと声が掻き消されやすいから、賑やかな場所ではそんなに口を出さないし、何よりテンポの速いやり取りが苦手だった。
けれど、こういうことを話そう!とテーマを決めて原稿を書き、人前で話すのは得意だった。
自分がいいと思ったことを素直に伝えるにはどの言葉がいいかな?
そう思って文章を書くのも好きだったし、
普段はそんなに口を出さない自分の声に、みんなが耳を澄まして意識を向けている『その瞬間』を味わうのも好きだった。
そんなこんなで、わたしが面白いと思ったものがどうやらみんなに伝わったらしい!と味をしめたわたしは
次の作文の授業でもこの語り口を採用した。
遠足の後、、運動会の後、
今思うと小学校のころは授業でことあるごとに作文を書かされていた気がする。
当時は楽しさも少しはあったが大嫌いな『タイムリミット』が課されていたため、
大概「この時間は作文を書いて下さい」を先生の口から聞いた瞬間、心の中の70%は「面倒くさい」が占めていた。
それが後々、わたしの大事な自己表現のツールになるのだから最初からもっと楽しんでやれば良かったとも思う。
まぁそれでもテーマが閃いた瞬間から、いつも楽しくはなっていた。
そしてこの時も楽しんで書いていた。
そして、書くことによる喜びをもうひとつ見つけることになる。
小学校6年生。バスケットボール大会について書いた時だ。
わたしは体育の時間が大嫌いだった。
高校生の頃にだいぶ改善されたが、もともと運動神経というのがかなり、、自分の致命的なコンプレックスになっていた。
執念深くしぶとい性格のため、長距離走と、練習してなんとかなった水泳以外はほとんどダメで、バスケットボールも例にならって大嫌いなスポーツだった。
それが、わたしの通う小学校とあともう二校が参加する三校合同の恒例行事として設けられていたのだから、
もはや面倒くさいを通り越して我関せずの意識で参加していた。
多少ボールに触れるくらいでもちろん活躍なんてするはずもなく
ゲームに参加してるんだかしてないんだか感さえ自分の中に漂う。
少し距離をおいたところから見守るわたしに先生達はそんなに消極的ではいけない、とわたしをせっつくのでとりあえずそのボールを追う取り巻きを追ってただ走った。
普通に見たら、こんな子が参加したんだかしてないんだか、よくわからないバスケットボール大会について作文を書かされるなんて嫌がらせにも等しい。
でもこの時わたしは自分が面白いと思うものを書けばいいことをわかっていた。
ゲームがどう進行して、どっちが勝って、、なんてみんなが知っている。そんなの誰が見ても明らかなことを今さら並べて書いても仕方がない。
大事なのは、自分の目ではどう見えて「何を感じたか?」ということだと、うっすら感覚としてとらえていた。
だからわたしはゲームの進行や大会にはほとんど関係ない場面を切り取って書いた。
確か、、男の子が高くドリブルをしようと手に取ったボールがわたしのおでこに当たり、ひっくり返った時のこと。
まぁ実にくだらない話だが、みんなが知っている誰がどうしてこうして、、ってつまらないことを書くよりもマシだと思ってそれを題材に選んだ。他にネタなんてないし。
そしてこの時初めて、、『ウケ』を狙って書いてみた。このようにさくらももこの語り口を真似て、言い回しや書く順番も工夫してみたのである。
そして結果は、、ウケたのだ!!
普段静かで大人しくしてるわたしが、、ジョークなんて言ったこともないわたしが、
みんなを笑わせられるんだ!!
この時ひっそりと、小さな感動を噛み締めていた。
これもわたしが文章を書くのが好きになったきっかけであり、未だに書く原動力にもなるのだから子供時代に味わった感情というのはすごい。
今考え付いたが、もしかしたら子供の頃のまま変わらずにいられる部分を表現することが生きることに喜びを見いだすコツかもしれない。
書くことに目覚める②としてこの記事をあげようと思っていたが、違うタイトルが思い付いた。
わたしがこれからも気兼ねなく自分のしょーもない話をするにはこう思ったら調度いいんじゃないか?と。
「わたしはエッセイスト」
つづく。