『書く』に目覚める
書く、という表現を覚えたのはいつからだろう??
小学校の作文の授業だと思うけれど、、覚えたてホヤホヤの頃の記憶はない。
わたしが文章を書いた記憶で一番古いのは、母について書いた時。
タイトルは『忙しいお母さん』
何故こんなに覚えているかって、市内の文集に載せてもらい、そのあと何度も読み返したのである。
わたしは何事もそうだけど、とてもマイペースでスロースターター。
これにしよう!と決めるまでがものすごく長い。
考え過ぎて始められない、、。
作文、絵、、、大抵のものは授業が終わる頃にテーマがやっと決まって取りかかる。
例外なくこの時もそうだった。
大好きなお母さんについて書こう!そう決めたあたりでチャイムが鳴り、学校が終った後、残って書いていた。
わたしは取りかかるのは遅いけれど、これを書こう!と決めたら早い。
物書きがよく言う『降りてくる』という感覚が当時からあった。
自分の心の中でぽわわーんと飛び交っているあんなことやこんなこと、それを上手く引き出したい!
そう思うと次から次へと言葉が出てきた。
楽しかったし、気持ちよかった。
当時は自覚していなかったけれど、それが夢中になるという感覚だったと思う。
わたしは基本的に大人しい人間だ。
昔からそう。
思ったことをはっきり言うのが苦手だった。
黙って静かにしている方が気楽だから、というのももちろんあるけれど、大人になってから本当の理由がわかった。
わたしは繊細だった。
感じることも多いし、人の感情が絡むとことさら考えすぎる。
相手がどんなことを考え、何を求めて言葉を投げているのか?
自分が感じていることにぴったり来る言葉を選びつつ、相手が不快に感じない表現をしなきゃいけない。
それはとても骨の折れる作業で、人と話すたびにそれをするのは気持ちが疲れる。
そんなこんなでわたしは中学生までずっと大人しい子をやっていた。
でも本当は、、わたしの心の中はいつでもおしゃべりだった。笑
外から見たら当たり前だけど、静かにボーッとしているだけのわたし。
でも、少し表現方法を変えて文章を紡ぎ出すとほら、、こんな世界が広がっている(^.^)
このまま書くことに目覚めていく話をしようと思うが、少し長くなりそうなので②につづく。
話しは変わるが
今、とんでもないものを見てしまった。。
地元のスタバ、ブログを一区切りさせて顔を上げると、ふと視線の先に黒縁眼鏡をかけた20代くらいの男の子がいる。
何気なーく見ていると、かなり、大胆に、、
鼻をほじりだした。
わたしが視線を釘付けにさせているというのに大胆きわまりない。
そしてなんと、その指を、
テーブルのすみに擦り付けはじめた!!!!!
ぎゃーーーーーー!
心の中で雄叫びをあげるわたしをよそに、彼は何ともない表情でスマホをいじり出した、、
と思ったら、また視線も変えずにあの指をテーブルの縁に擦り付けている。
ブツはまだ引っ付いていたらしい。
そして、相方がそんなことをしているとも露知らず、、
その男の子の友達らしき、彼と同じような雰囲気をまとった男の子が席に帰ってきた。
恐ろしい、、。
全くもって潔癖症などではないわたしだけれだも、こんなものにお目にかかっては気が気ではない。
そしてそうこうしているうちに彼らは店を去ったのも束の間、
高校生くらいの娘と母の親子がその席に着いてしまった。。。
当の本人たちは何も知らない。
わたしの世界では勝手に加害者と被害者になっているけれど、
双方のどちらも何も考えていない。
むしろ被害者はわたし一人かもしれない。笑
わたし一人が悶々としている。。
つづく。