生い立ちについて
ここでわたしの生い立ちについて少し話をするとしよう。
どこの誰が書いたか全くわからないのに興味を惹かれる文章もある。
これは本物だ。
でも、どういう人間が書いてるか?
それがわかった方が興味を惹かれるものだ。
そう、大して面白くもない文章をみんなに面白く読ませようというわたしの魂胆である。
と、いうのは冗談で
個人的に自分の生い立ちを語りたいだけなのだ。
どんなに平凡に見える人生であったとしても、人の人生はドラマチックだ。
そうは思えないというのなら、それは今の自分に満足していないからだと思う。
見方さえ変われば、輝く瞬間は誰にでもある。
そう信じているから
何が出来るというわけでもない、こんなに平凡な自分について話すことが出来るのだ。
どこまで話すかは決めていないけれど、今日は、、
わたしが生まれるまでの話をしようと思う。。
1991年、3月8日
わたしは生まれた。
予定日は2月の22日でゾロ目だったのに、いつまで経っても母の陣痛が来ない。
検査してみると母の骨盤内が狭く、わたしは自然分娩では産むのが困難だとわかり、帝王切開で取り上げられることになった。。
と、特にドラマチックでもないことしか子供の頃は知らなかった。
わたしは母とお風呂に入る度にその傷口を見て
「うわー、赤ちゃんってここから出てくるのか、、」と思っていたので
普通は産道を通って膣から子供が生まれてくることを知らなかった。笑
子供は誰でもお腹を切り開いて生まれてくるものと思っていたので、小学生の時に
「この穴から生まれてくるのか!?!?」
と初めて知ったときはそれはそれは驚きだった。笑
と、このまま性について話すのもいいと思うが、今日話したいのはこーいう話ではない。
わたしはお金や性について、、触れるのをタブー視されがちなことについても自分感じることを書いていきたいと思う。
でもそれについてはまたの機会に。。
今日は、それ以前について。
いわゆる『でき婚』であることを知ったのは高校生くらいの時である。
母の婚約指輪だか、結婚指輪だかに1990.6.7と彫ってあるのを見つけ、ん??と思った。
6月7日は母の誕生日だが、、あれ?子供って生まれるまで確か10ヶ月は胎内にいるんだよな、、?
子供は全てお腹を切り開いて出てくると思っていた子供も、流石に高校生くらいになればそれくらいの知識はついている。
わたしは91年の3月生まれなのに、、足りない。
わたしを妊娠してから結婚したのか??
あんなに堅い両親なのに、まさかのできちゃった結婚、、!?
わたしはそれを知ったその日に、背を向けて台所仕事をする母にそれとなーく聞いてみた。
「お母さんってさ、でき婚っぽいよねー?」
すると、わたしの方を見向きもせずに
「でき婚っぽいっていうか、思いっきりでき婚でしょ」
と、ピシャリと答えた。
なんていう開き直り方!
唖然とした。
言葉を失い、苦笑いしてその場は終わりだった。
しかし、もっと詳しいことを知ったのは22歳のお正月。
職場恋愛で、12歳年上の上司と結婚した。
それくらいしか知らなかった両親の結婚エピソードをまさかの形で知る。
母方の祖父の家に遊びに行ったとき、祖父が酔っぱらって饒舌になり口を滑らせたことによる。
普段から決して寡黙な人ではないが、わたしが生まれる時のことはこのとき初めて聞いた。
父は家に帰り、母はトイレに行き(後から気付いたが普段あまり飲まないお酒を沢山飲んだせいか、彼女はなんとトイレで寝ていた、、)
二人の弟とわたしと祖父の三人だけになったとき、何故か祖父がこの話題を出してきた。
かっちゃんとたけちゃん(弟たち)もかわいい孫なんだけどね、まりちゃんはおじいちゃんにとっての初めての孫だから特に思い入れが強いんだよ、、
ちょうどまりちゃんが生まれる一年前におばあちゃんが亡くなってね、生まれたときは生まれ変わりだってものすごく喜んだんだ。
生まれる前はいろいろあったんだけどね、、
いろいろ?
わたし達三人はキョトンとした。
お母さんがお父さんと付き合ってるなんて、おじいちゃんは何にも知らなくてね、、
ある日、お母さんが急に会社を休んだんだよ。
ちょっと風邪引いたみたいだから病院に行ってくるね、って。
そこでおじいちゃんはピンと来たんだ。
「あぁ、あれだ、、子供ができたんだ」ってな。
その話を聞いてた5年前は「よくそんなのわかったな」
くらいにしか思わなかったけれど、おじいちゃんはとても勘のいい人だと思う。
男はみんな鈍いかと思ったら、そういうことでもないらしい。笑
それで、相手は誰なんだ?って聞いたら、お父さんとお父さんのお母さん、、みんなのおばあちゃんがうちに謝りに来てね、、
おじいちゃんは二人に怒ったんだよ。
順番が違うじゃないですか!ってね。。
お母さんにも怒った。おばあちゃんが死んで、俺がこんな気持ちでいるときにお前はこんなことをしていたのか、って
なんだかやるせない気持ちでいたんだよ。
冗談じゃない!俺は認めない!
そう思っていたらね、突然お父さんのお姉さんの子供達がトラックで迎えに来たんだよ。
お母さんとお母さんの荷物を奪いにね。
それで、お前はどうしたいんだ?ってお母さんに聞いたらね、
ポロポロ涙を流しながら「ごめんなさい」って言って
行ってしまったんだよ。。
その時はもう、、何とも言えない気持ちだったけれども、今こうしてみんなといられるんだからこれでよかったんだ。
わたしたちもこれを聞いた時は何とも言えない気分だった。
普段、「育てる気がないなら作るなよな」なんて育児放棄する若者のニュースに対して怒っている父を思いだし、わたしたちは複雑な気持ちになった。
祖父も多分、素面だったら聞かせるつもりはなかっただろう。
この他にも話していたが、
とにかく、父方の一族は波乱だらけで、全て書いてもわたしが気兼ねしないならとんでもない話がどんどん出てくる。
でも今日の話しとそれてしまうのでここまでにしておく。
祖父はとっても穏やかな、明るい人だ。
本当によっぽどじゃないと他人に怒ったりはしないであろうし、母が泣いたのを見たことだって一度しかない。
穏やかな面しか知らない母の人生にこんな昼ドラチックなこんな展開があったとは、、。
当時21歳の彼女に『わたしをおろす』という選択肢はなかったのだろうか?
また別の時に何にも知らないフリをして聞いてみた。
わたしをおろそうとは思わなかったの?
「それは思わなかったね」
いつものように、自分のことに関しては口数少なく返事が返ってきた。
当時のことは、何もわからない。
わたしもおじいちゃんの目線でしか話を聞いていない。
わたしにとっては
わたしが今ここにいる、というそれが全てであり、真実だ。
産んでくれてありがとう。それだけ。
そしてわたしは波乱の恋愛の中から生まれたせいか、
お前の恋愛で本が書けるよ、なんて言われる恋ばかりしてきた。
なんでだろう、そーいう星のもとに生まれたとでもいうのだろうか?
それはまた気が向いたら書くとしよう。
では、、。