目覚め

今、ここで言葉にしたい。

 

昨日起こった大きな気づき。

昨日も書きたかったけれど、お風呂で寝ちゃうくらい疲れてて、、笑

 

今日も正直疲れてるけど、こんなに強い気持ちを今、ここで宣言しなくて何をするの!っていうくらい、わたしの中に感じるものがある。

 

だから、頑張って言葉にしようと思う。

 

 

 

 

 

わたしの中に、怖さと期待が入り交じった複雑な感情が渦巻いている。

でもその奥に、ものすごくクリアな世界が広がっている。

 

 

ちょっと怖いけど、その世界を信じて飛び込むためにこれを書く。

 

 

実はここ数日、感じることがあった。

ふと、心のなかで自分の声が聞こえるのだ。

 

 

 

 

 

本当は、、、、

 

今のままでも、幸せだよね?

 

 

 

 

本当は、、

 

満足してるよね??

 

 

認めるのが嫌でやりすごしてきたけど、いよいよその時が来た。

 

 

 

そう、、

本当は、今この瞬間もう、幸せ。

満たされている。

 

 

でもなんで受け入れられなかったかというと、

 

それを認めちゃったらその先の幸せが手に入らないような気がしていたから。笑

 

 

 

本当は彼といるとき、もう十分に幸せで満たされていて、、それを言葉にもしたかったけれど

 

 

これを言ってしまったらこの先のことを叶えてもらえなくなるんじゃないか?って不安から、ちゃんと言えなかった。

 

こいつはこれで満足なのか、じゃーもう気にかけてあげなくてもいっか。

 

そう思われるのは嫌だった。

 

 

 

それとなーく言葉にはしてたし、ブログにも書いてたけど、その時いつも

 

「今、すごく幸せ。だけど、、

 

って感じだった。

 

 

でももう、「だけど、、」なんて言葉は要らない。

 

 

 

今、幸せ。

それで終わり。完了。

 

 

 

 

 

もっとこうじゃなきゃ嫌!

これさえ叶えばもっと幸せなのに!

 

恥を捨ててもっとダイレクトに言うなら、

「あなた(彼)さえこうしてくれたらわたしはすぐにでも幸せになれるのよ!!」

 

そんな思いが以前にはあったのも事実。

 

 

 

でもわたしは自分のモヤモヤを追及せずにはいられないから、そんな見せかけの幸せには騙されない。

 

確かに好きな人が傍にいてくれたら嬉しいけれど、

自分の幸せが自分以外の誰か次第なんて絶対におかしい。

 

 

 

 

自分を幸せにするのは他の誰でもない

自分自身だもの。

 

 

 

 

人は、「これさえあれば、、、!」って一番強く握りしめているものを手放せば、あっさり幸せになっちゃうもの。

 

人のことならすぐにわかるのに、やっぱり自分のことになるとちょっと難しいよね。

 

 

わたしの場合に当てはめて言うと、

 

彼とずっと一緒にいられるようにならなきゃ嫌だ!

そうなってないのに幸せだなんて言ったら妥協してるみたいじゃん!

 

ってやっぱり思ってるところがあったけれど、そのこだわり手放します。笑

 

 

 

要らないっていってる訳じゃない。

もっと一緒にいたいっていう純粋な願いはそのままに、こうじゃなきゃダメだっていう思い込みを捨てるっていうこと。

 

 

 

人によりけりだろうけど、愛されてるの定義というか、こうあるべき!がわたしの場合は

 

・一緒にいる時間が長いこと

・他の誰よりも一緒に過ごすことを優先してもらえること

・この先もずっと一緒にいることを約束してもらえること

 

だったから、しょっちゅう愛されてる証拠や実感がほしくてワケわかんないこともやっていた。

 

 

例えば、、

電話するのなんて好きじゃないくせに、少しでも自分に時間をかけてもらえてるって  実感が欲しいばっかりに

「電話したい」なんて言ってみたり(爆)

(言ってるときは大真面目にしたいんだと思い込んでたけど、素直に言ってみた直後、わたし何やってるんだろ、、ってなったり、、恥)

 

あとは、、

ずっと一緒にいる、お別れしないって安心感が欲しくて、約束を欲しがったり、、

でも考えてみたら普通にお付き合いしているカップルだって、大好きだったのにお別れするタイミングが来たりするし

 

結婚するときは永遠を誓った夫婦だって離婚したりする。最初っから別れるかも、、なんて思いながら結婚する人なんて早々いない。

 

冷静になって考えてみた結果、ちょっと他の人とは違うように感じたけど、

根源的なところは何も変わらないということに気づいてしまった。

 

 

未来に「絶対」なんてものはないのだ、ということ。

 

むしろ、その約束や誓いに甘んじて相手とのやりとりを疎かにして、気がついたときには時すでに遅し、、の方が残念にも感じる。

 

 

 

 

今のわたしは、相手と一緒にいる時間が当たり前ではないからこそ、味わえるものさえある。

 

 

 

愛情=時間

だったわたしだけれど、

 

 

時間をかけてもらえないからって、愛されてない証拠にはならない。

自分の求める形だけが相手の愛情ではないってこと。

 

 

意固地になってると気づけない相手の気持ち。

 

 

うっかりすると、

「あんた彼女と一緒に住んでるじゃん!!」と責めたり疑う要素はいくらでもある。

 

 

 

それでも自分は愛されていると、なんの約束も誓いも、証拠もないままにそう思いっきり信じさせてくれる彼はある意味すごい。

 

そしてそれを信じられる自分もすごい。笑

 

(何度も言うけど「信じる」って未来を約束とか期待するとか、そういう打算的なものじゃなくって、この瞬間に全てがあって、それでいいと思えることだからね)

 

 

 

見えないからこそ、見える何かで確かめたくもなるけど

 

わたしの中はもう、見えないもので溢れているよ。

愛ってそれでいいんじゃないかな?

 

 

 

 

今も幸せだけど、もっとこうだったらな、、

もっと幸せになれるのに、、

 

 

ずっとそう思ってきたけど、もう完全にそれをやめる。

もう十分満たされている。

 

幸せ。

 

 

 

 

未来を思うといっつも怖くて嫌な気分になってたけど、

それは「こうなったら幸せ」って願った通りにならなかったらどうしよう、、ってものすごく不安になってたから。

 

 

それを思うと心がキューーーッとなって底無し沼に落ちていく。

 

 

 

でもさ、「こうなったら幸せ」って形を手放したら、もうそんなことしなくてもいいんだよね。

 

だってもう幸せだもの。笑

 

そう思ったらとっても心がスッキリ軽い。

 

 

 

 

 

 

本当に幸せになりたいなら、今すぐ幸せって決めるだけ。

 

あれが叶ったら、、とかじゃなくて、もう今幸せなんだと気づくこと。

 

 

その文章に触れたときは正直全然わからなかった。

 

3年前のわたしは満たされない思いが強すぎて、今すぐ幸せって何よ??って感じだった。心の感度が鈍りすぎてたしね。

 

 

でも、今、その人の言いたかったことがようやくわかった。

昨日その文章をものすごく久々に読んで、強烈な感覚を覚えた。

 

 

 

冴えてる。

本当は全部わかってた。

 

 

手放すのが怖かっただけ。

その先がどうなるのかわからないから、、というより、大きな変化を前にしているからこそ怖いって感じ。

 

それでも大丈夫、わたしはわたしが幸せにする。

 

責任もって、感じることのすべてを受け入れて生きていく。

そう思えたからこそ、手放せる。

 

 

 

今、ようやく目覚めた。

 

 

 

 

 

この先とっても楽しみ。

 

久々にブログを一気に書けてものすごく嬉しい。

今日はほとんど詰まることなく文章が出てくる。するすると書ける。

 

 

ものすごく大きな気づきをあなたにもおすそわけ、、、

 

 

つづく。