パートナーである前に、友達であり、親友であり、、。
前の記事の続きです。
パートナーのことを
恋人であり、一番の親友!という言葉を聞いて
羨ましさもありながら、わたしにはわからない、、、としていたあの頃。
わたしの中にはこんな思いがあったんだと思います。
この間、当時の思いを振り替えってみたら、こんな言葉たちが出てきました。
恋人とは、、、
自分を受け入れてくれる人であり、
自分のことを最優先してくれる人。
共感してくれる人。
一緒にいてくれる人。
でした。
そして自分にもこう思っていました。
最優先しなければならない人、共感しなければならない人、一緒にいなければならない人、、。
振り返ってみて気づいたんですが、
自分が自分に「こうでなければならない」と強いているので、
相手にも当たり前のように強いるんですよね。
(あ、でも世の中には自分は平気ですることを相手には許せない人もいるね、、それはいまいちわからない)
受け入れてくれる人というのも、結局自分に自信がないから
相手が一緒にいてくれることで自分の存在意義を見出だしたい、という感じだったかも。
当時は表面的に何か出来ることに価値がある、と思い込んでいたので
自分は何かを感じて、こうして存在しているだけでいいだなんて到底思えませんでした。
だから恋愛においても自分の存在価値を絡めてしまう、、
お別れを切り出されて必要以上に傷ついてしまう人は昔のわたしと同じように、
選んでもらえることに自分の価値を見出だしている可能性があります、、
別々の道を進みたいという相手の純粋な気持ちに
自分を否定された、と勘違いしてしまい、傷つく。。
昔の自分は必要以上に相手に依存する人間だったし、
なんだろう、、
大好き=一緒であること、同じであること、
と勘違いしていました。
恋人同士なんだから一緒に居て当たり前。
わかってくれて当たり前、、みたいな。
でも、「当たり前」という感覚に感謝の気持ちは湧きません。
その上、自分が相手と違うことを感じたとき、一生懸命その気持ちを打ち消すか、
もしくは相手をわからせようとする、、
数年前のわたしってなんて傲慢だったんだろう、、と唖然としました。
自分の気持ちを否定するのも、相手の気持ちを否定するのも
とても苦しいものです。
パートナーになったとたん、友達であったときのように相手を一個人として尊重することができない人は
そもそも自分自身と仲良くできていないのかもしれない。
自分の寂しい気持ちや、悲しい気持ち、自信のなさ、、
そういったネガティブな気持ちを受け入れられないから相手任せにするのかも。
でも、パートナーってそんな気持ちの埋め合わせのためにいる人ではないと思います。
自分がコントロール出来るのはこの自分だけ。
(自分のことでさえコントロール出来ない部分もあるけど)
自分以外の人間は、例え家族であろうとパートナーであろうと他人。
それがわかった上で相手のことをわかろうと思うのか
それとも自分の受け入れきれない思いを人にわかってほしいとぶつけるのか、、、?
自分のことを好きでいてくれるから相手のことが好きなのか?大事にしたいと思うのか??
自分の感じることを丁寧に拾って、どうしてそう思うのか?
と、深く潜っていくうちに、自分の輪郭が少しずつはっきりしてくる。
そうして自分がわかってくるうちに、自分が本当に求めていたことも、心の深くからの望みもわかってくる。
自分の大事に仕方がわかってやっと、相手を大事にする、という本当の意味がわかってくると思う。
昔はわからなかったけれど、彼が友達、親友という言葉の感覚、、
なんとなくわかってきたかも、、。
もとはといえば、相手を一個人として好きになったから友達になって、パートナーになったのに
コミュニケーションの怠慢から、その気持ちがずれてくる、、。
わたしは、結婚しても旦那の愚痴を外で言いまくるような奥さんにはなりたくないかな、、。
昔の感覚のままだったら間違いなくなっていたけれど(^o^;)
このままいけば、わたし、好きな人がパートナーであり、親友であると言い切れる気がします。
ではでは、、。