すべて喜びである

前の記事の続きに行く前に、書いておきたいことがあります。

 

 

というのも、わたしがこんなに気持ちを穏やかにしていられるのも

 

彼がああ言ったから、こう言ったから、ということではないからです。

 

 

もちろん彼も気持ちを伝えてくれるようになって、現実も良い変化があったけれども

そういうことではないのです。

 

現実が好転する前に、自分の中で大きな変化がありました。

 

 

その大前提がないと読んでる人にも勘違いをされちゃうんじゃないか?っと思ったのでこれを先に書きます。

 

 

では、、、

 

 

 

 

 

 

以前はわたしも、未来に起こるかもしれないことを思って不安になってました。

 

どんなに「そんなことはないよ!」って言われても、

ある日彼女が妊娠して結婚することになった、、とか

 

お別れを告げられる日がくるんじゃないか?

 

そう思うと苦しかったし、なんとかしなきゃ💦みたいなあせる気持ちでなんだか煽られていたのですが、、

 

 

 

さきこさんのブログを読み始めた辺りかな、、?

 

 

喜怒哀楽、人には様々な感情があるけれど、どれが良くてどれが悪いっていうのはない。

 

そりゃ心地良いこと、悪いことはあるけれど、それって好みで

人間にとって感じることは本来生きることそのもの。

 

すべて喜びである。

 

悲しさも寂しさも、苦しさでさえも、感じることのすべてが生きてる証し。

 

どれも例外なく、すべて喜びである、、と。

 

 

もとから「感情に良い悪いはない」、という概念もHappyさんのブログに触れたのをきっかけにして知っていたけれど

 

すべて喜び、、という表現は、、やっぱりインパクトがありました。

 

 

これに触れて、わたしはまた高い視点で物事を見られるようになってきました。

 

 

 

季節の移り変わりや、天候、、

自然の世界が常に変化しているように、人間も常に変化している生き物です。

 

よく「変わらない安定した生き方」を求める人はいるけれど、、、

 

変化のないところに大きな喜びは起こりません。

 

 

悲しいこともないのに、楽しいことばっかりなんて人生もありません。

 

 

 

よく「感情をコントロールする」って言葉を聞くけれど、それって

押さえつけるって意味じゃない。

 

 

怒りを感じたけれど、ないことにする、

悲しい気持ちになったけど元気を装って頑張る。

 

↑どっちもわたしにとってはなんか違うと感じます、、、。

 

 

かといって、怒ったら怒りまかせに相手を非難したりっていうのも違う。

 

 

いつでも自分が何を感じて、どうしたいかを選ぶことは自由です。

 

 

起こることをコントロールは出来ないけれど、起こったことに対して何で自分はこう感じるのかな?と、自分を省みることはできます。

 

 

例えば、、

愛されているとは、、いつでも自分を優先してくれて、一緒にいてくれて、連絡もすぐに返してくれて、、

 

という設定がある人は、相手にそうじゃないことをされたとき

 

当たり前だけど悲しむし、傷つきます。

 

 

でもそこで自分の設定に気がつければ良いんだけれど、

相手にどうにかしてよ!!って言ってるうちは本質的なところは何も変わりません。

 

 

人をどうにかしようと一生懸命に意識を飛ばしているうちは、目の前のものに意識がいきません。

 

本当はもうそこにあるはずの愛情も、豊かさも、、何も受けとれずに流れていってしまいます。

 

 

 

悲しい気持ちって、そんなに心地よくはないけれど

やっぱり大事な何かに気づかせてくれます。

 

 

悲しい気持ちを味わうことを避けて、

何となく満たされないけど、幸せなはず、、

 

って毎日を過ごすことと

 

 

悲しい気持ちを素直に受け止めて本当に大切なものに気づき、本当に満たされていると実感できる毎日を送るのと

 

一体どちらが幸せなのでしょうか??

 

 

 

わたしは、彼を好きになってこの事を沢山考えたし、学びました。

 

 

 

いつも自分を優先できる人と一緒にいた方が幸せなんじゃない??

 

いつか傷つくかもしれないリスクを背負うより、無難な道を行けば良いじゃない?

 

自分の心の中でさえこんな声が聞こえてくるときもあったけれど

 

 

 

その度に自分の気持ちに立ち返り、やっぱり彼が好き。

この先どうなるかわからないけれど、この気持ちに正直でありたい。

 

 

 

っていうか、そもそも悲しいって感じることは悪いことなのかな?

 

わたしは小さな喜びを感じられる分、小さなことにも気がついて悲しくなることがあるけれど、、、

 

これって悪いことじゃないよね?

 

 

悲しくなる度に人前で泣いたり、すぐ落ち込んだり、、っていうのは少し違うと思うけれど、別にわたしはそうじゃないし、、。

 

 

悲しい気持ちになったら前は感じないこと、なかったことにして見ないふりしてたけど、

今思うとその行為自体が違和感だったかも。

 

 

悲しかったら悲しめばいい。

 

それ以外できることなんてない。

 

思いっきり悲しんで、落ち込んで、泣いて、、

その後、自分に聞いてみれば良いじゃない、、

 

 

自分は本当は、どうしたい??って。

 

 

それを聞いて、それに従えば良い。

いつでも自分にそれを聞いていれば、どんなときでも最善の一手が深いところから出てくる。

 

 

 

もしこの先いつか、

彼が急にさよなら、なんてことになったらものすごく傷つくだろうしショックで悲しいだろうけど、、

 

それが怖くて彼を諦めるのは嫌。

 

 

悲しいことがあっても大丈夫。

悲しさを感じることが不幸な訳じゃない。

 

 

本当の気持ちに気づけず、時間ばかりが過ぎていくことの方がよっぽど不幸だよ。

 

 

わたしの幸せはわたしが決める。

 

というか、今この時点で幸せ。

 

もうこんなに人のことを好きになれているんだから、、。

 

 

そう思った辺りから、何が起こるか怖くて仕方がなかった未来が

全く怖くなくなりました。

 

 

起こったら嫌だなって未来は今もあります。

 

 

彼と楽しみにしてるデートをドタキャンされたら、、とかね。笑

 

でも、そんなときも素直に悲しめば良いし、

 

そもそも未来に嬉しいことも悲しいこともあるって真理は、わたしがこうなるずっと前から変わらずあったんだよ。

 

気がついていなかっただけで。

 

 

だから現実に振り回されたり、逆に嫌なことが起こらないように、、、ってひどく無駄なことにエネルギーを割いてきたけれど、

 

 

本当はもっと無抵抗で良かったんだ、、。

 

 

よく勘違いしている人がいるけれど、無抵抗って流されることではないです。

 

 

ちゃんと自分の意思を持つこと。

 

人や物を都合よくコントロールしようとするんじゃなくて、ちゃんと「自分」で歩きたい道を選ぶこと。

 

 

 

 

今が幸せだから大丈夫。

 

この言葉は状況や人、ものに依存してるととてつもなく危ういし、あっという間に崩れるけれど

 

ちゃんと自分の意思をもって、自分次第、って思えているわたしなら、

 

 

大丈夫。

 

 

 

まだ起こってもいない未来を思って今を不幸にするのをやめたら

 

 

 

なんだかわかんないけど、こんな状況にあっても全く関係なく心が落ち着いてきました。

 

 

なんかわかんないけど、満たされてるぅ~って感じ!笑